一般社団法人Le Muse-Blog

音楽・芸術を中心にイタリアからの"いろいろ"通信

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音・絵・街・人・物との出会い

写真で見るVerdi巡礼

大好きなBoldiniが描いたヴェルディ(2017年ローマでジョヴァンニ・ボルディーニ展が開催されたとき)

ブッセート郊外の小さな村レ・ロンコーレに残るヴェルデが生まれ幼少期を過ごした家

 

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10歳のヴェルディの才能を認め、それから常に彼を支援し続けたブッセートの商人アントニオ・バレッツィ
ヴェルディ自身も第二の父と慕っていたバレッツィがなくなる時の最後の言葉は『Mio Verdi, mio Verdi!私のヴェルディ』。

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ブッセートにあるヴェルディも通ったバレッツィ邸の内部。現在は博物館として提供されこの部屋のみ写真撮影可。

部屋にあるピアノは全く修復せず当時のまま。ヴェルディが勉強のために使用そしてバレッツィが死去する際、彼の枕元でヴェルディ慰め弾いたピアノ。
恐れ多くてムーティも触らなった鍵盤。案内人に『触ります?』と聞かれたが、、、その前振りでは触れません。。


ヴェルディ生前に建設されたヴェルディ劇場。(行ったときは椿姫の公演準備中)

 一階入口、左横のボックス席はヴェルディに献呈されたのに、この劇場には一度も足を踏み入れなかったヴェルディ。最初の妻マルゲリータ(アントニオ・バレッツィの娘)亡き後、ソプラノ Giuseppina Strepponi と生活し始めたヴェルディを心よく思わなったブッセート市民。町の自慢だったヴェルディが、他の女性と付き合いだした事を小さな町の人々は受け入れられなく、ストレッポーニがミサに参加すればミサは途中で中断、ブッセートのご婦人様は教会から出ていくというヴェルディもストレッポーニもかなりの村八分にあっていたらしい。そんな扱いされたら、いくら自分の名前を付けた劇場を立ててくれたといえ、行かないわね。

ヴェルディ劇場待合室

上にある穴は↓、タバコや葉巻の煙でもうもうとする部屋の換気に使っていたそうです。

ヴェルディが愛したサンタ・アガタにあるヴィッラ・ヴェルディ

今でも当時のままの彼が精魂込めて作った庭。一つ一つの花の位置もヴェルディ自身が決めたもの。内部は残念ながら写真撮影禁止。ヴェルディの寝室にはベッド、机、ピアノが川の字に置かれてあった。メロディーを思いついたらすぐに書けるようにという配慮だそう。しかし、作曲中はほとんどピアノは使用しなかったらしい。

 

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歩くときの足音がうるさくないようにというヴェルディの指示で作られた道。ヴェルディに関する博物館、劇場、別荘、資料、街に触れたことで新たなヴェルディ像が私の中へ。イタリア人に愛され、そして今でも愛され続ける偉大なヴェルディ
素晴らしい曲を残して頂いたことに感謝。
ここからヴェルディがなくなった当時の新聞と写真が見ることができます。

2018年 第2回声楽マスタークラスArte della Lirica Italiana
東京・福岡2日間コース 募集締め切り 2018年2月25日
東京4月4日~5日
福岡4月7日~8日

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